名前を呼んで(五七)

現代に帰ってきた私たちは、兄と妹から恋人へと関係を変えた。
そう、変わったんだけど……

「兄さん、お醤油とって」
「ああ、はい」
「ありがとう」

またやってしまった。
納豆にお醤油を垂らして、かき混ぜながら私は思わず肩を落とす。
恋人になったんだから、兄さんじゃない。いや、兄さんだけど兄さんじゃないんだから。
周囲の人にはまだうまく説明が出来ないだろうから、家の外ではこれまで通り『兄さん』呼びでも良いだろう。
でも、せめて家の中でくらいは兄さんの事を名前で呼びたいって思っているのに。
慣れ親しんだ言葉がついつい口に出てしまう。

「七緒?」
「…なに?」
「そんなに納豆かきまぜてたっけ? いっつも」
「え? あ」

黙々とかきまぜていた納豆はすっかり泡立っていた。
もう少しかきまぜてない納豆が好きなんだけど、かきまぜすぎた自分が悪い。
白飯の上に納豆を乗せようとすると、兄さんが茶碗を寄せる。

「それ、俺が食べるよ。七緒はこっち。
今度は掻き混ぜすぎないようにね」
「……兄さん、でも」
「俺はそれくらいの方が好きだから」
「…ありがとう」

兄さんの言葉に甘え、しっかりとかきまぜた納豆を兄さんの白飯の上へと乗せた。
今度は失敗しないように気を付けながら、私は再び納豆をかき混ぜる。
ちょうど良い粘りになった納豆を、ようやく白飯の上に乗せた後も、私は目の前にいる兄さんの事を考えていた。

 

朝食が終わり、温かいお茶を飲んで一息ついたところで兄さんが私の名前を呼んだ。

「それで、朝から何に悩んでたわけ?」
「それは……兄さんの事で」
「俺?」
「兄さんだって、名前で呼ばれたいでしょう?
だから五月って呼ぼうと思ったんだけど、うっかり兄さんって呼んじゃうから」
「ああ、なるほど……」
兄さんはうーんと困ったような顔をした後、何かを思いついたような表情を浮かべて私に向き直った。
「じゃあ、兄さんって呼んだら罰ゲームっていうのはどうだろう?」
「罰ゲーム?」
「そう。例えば……キスとか?」
「キッ……!?」
とっさに顔が熱くなる。
だってキスなんてまだ数回しかした事がないのに。
それを罰ゲームでするなんて。
「ごめん、今のは俺が悪かった。冗談です」
「…ううん、いいの。その…にい、五月が名前で呼ばれたいっていうのは分かってるから」
「でもそこまで無理する必要ないよ。何年兄妹をやってきたと思ってるんだ。急に変えられない気持ちも分かるから」
そう言って、兄さんは私の頭を優しく撫でる。
それは幼い頃から私を甘やかしてくれてきた手だった。
兄と妹して過ごしてきた時間は変わらないし、大切なものだ。
だけど、これからの時間は恋人として生きると決めたのだから。もう兄と妹ではいたくないと私だって思うのだ。

「五月」
「ん?」
「…五月さん」
「なに? 七緒」
「……兄さん」
「ん」

どう呼んだって変わらないかもしれないけれど。
私が名前を呼ぶだけで嬉しそうに目を細める兄さんがたまらなく愛おしいと思う。

「大好き」

気持ちが溢れて、言葉になる。
兄さんはなぜか胸を押さえてうずくまった。

「え、兄さん?」
「ごめん、ちょっときゅんとして……」
「え?」
「ねえ、七緒。もう一度呼んで?」

五月が、私の手を両手で握る。
それがなんだか可愛くて、思わず笑みを浮かべる。

「五月」
「うん」
「これからきっともっと、兄さんの事好きになると思うんだ」
「……うん。俺もそう思うよ。七緒」

恋人に変わった私たちは、これからきっともっとお互いの事を知って、好きになっていくんだろうな。
そう思うと、たまらなく日々が幸せに思えてくる。

「世界で一番、お前が好きだよ。七緒」

私の好きな人が、愛おしそうに私の名を呼んだ。

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